朝の風景
2009年 06月 10日
里帰りすると、私は毎朝、義妹を職場まで車で送って行きます。仕事場は花巻温泉、この道を毎朝6時には起きて、一緒に車でおしゃべりしながら運転手として送り迎えをしています。それは 私がいる間、義妹の車を借りるためでもあり、車の中で普段言えないことを話し合ったりできるからです。嫁としては同じ立場ですからね。年は親子ほど違いますが、両親と同居してもらっていますから、たとえ年下でも感謝の気持ちを表すには行動にあらわすことが必要だと思っています。そのためには運転手やマウイの遊び相手などは 私にとっては朝飯前、お安いご用です。
温泉まで続くサイクリングロードです。路傍にはこの時期、ポピーの花が可憐な花を咲かせています。春は桜並木、初夏はポピー、盛夏の7月にはアメリカ芙蓉の花が見事なんです。けして華やかではありませんが、季節ごとに違った草花を楽しめるように工夫されています。
さて、帰宅すると今度はマウイの通学時間が迫っています。里帰り中はいつも 散歩がてら、マウイの小学校まで一緒に登校するのが習わし。友達と誘いあって、約2キロの道を歩くのです。ランドセルが背中よりも大きかった頃、「 ダイちゃんママ、一緒に行くよね?」 と毎朝、私の手を取って歩いたマウイ。もうそのランドセルも心なしか小さく見えます。
桜台小学校、その名の通り、校舎の周りには 見事な桜の古木が植えられていました。このあたりの地名も桜雲台と言われていました。道路拡張のため、手前の桜の木々が伐採され、校舎の左側に工事中のフェンスが回されています。 子供達の安全に注意して工事が続けられています。
ここは私の母校、花巻北高校があった場所(現在は移転しましたが)、不撓不屈の精神と、バンカラな校風が伝統で、教師も生徒も個性あふれる高校でした。いまだに応援団は、ボロボロの学生服の腰に手拭いをぶら下げて、高下駄を履いて通学しているようです。
雨漏り先生のリクエストにお応えして・・・花巻北高のホームページからお借りしました。 先日の里帰りで見かけた生徒は、学生服が本当につぎはぎだらけで、ホームレスよりもひどい恰好。(笑) カメラを持っていなかったので、残念ながら画像なし。
この画像は 盛岡一高との定期戦でしょうか、応援団は羽織袴姿です。小さくて見ずらいかもしれません。ごめんなさい。甲子園予選大会などの前日は、応援団が太鼓をリヤカーに乗せ、盛岡まで歩いて行ったものでした。今はどうかなあ・・・。 ブルーの襟のセーラー服は女子生徒です。私ももちろん着てました!!!(スカートの丈はもう少し長かったな。)
一年生がミニトマトの栽培観察をしていました。 「 おばちゃん、みでみで。 トマト もは はなっこさいでらよ。 へへ、いいべぇ。」 「 あいやあ、ほんとだぁ。 すんげなはん。 だいじにしてやぁ。」
そんな会話をしながら、子供たちを見送ります。 母校は移転しましたが、里帰りの度にここに来るのが日課になっているのも マウイのためだけではなく、私自身が懐かしくて足が向いてしまうのかもしれません。。
帰り路は ゆっくりマイペースで。 せせらぎ橋のマスコットガールと恵比寿さんのような表情のわらすっこ。 少女のあどけない表情がいいなあ。おどごわらすは さがなっこだいでらもね。お地蔵さんのようにも見えるなはん。
川沿いに咲くヤマボウシの白い花が初夏を告げています。 橋のたもとには 新緑の紅葉が種をつけていました。 きっと風に乗ってその種がとんで、また新しい芽がどこかで根付いたりするんでしょうね。
kantarou さんのリクエストにお応えして・・・あるんですよ、白橋の画像が。 ↓(笑)
≪白橋。 確かに老朽化してるもね≫
≪ 国鉄・釜石線が通っていた線路。白橋の下だよ≫
≪ 黒橋の上からの風景 盛岡方面に向かう列車≫
黒橋の上から見だ 東北本線のコンテナ列車。 郷愁をそそるべぇ?
釜石線が通ってらのが白橋。なんだが 涙っこでできそだぁ。 東和高校、らいねんがら北高さ統合するどっす。
おべでらったっか? あの 大滝詠一、一年だげだども 北高生だったんだどっす。 たんまげだべぇ。(笑)
なんだかんだで 超大作になってしまった! アハ、ながぐなって もさげねぇよぉ。
是非、画像をお願いしたいなぁ <(_ _)>
先生のリクエストにお応えいたしました。 画像が大きなものがなくて、母校のホームページからお借りしました。
私達の頃は、応援団のみんなは 帽子も学生服も 先輩のおさがりを着ていました。 入学式の後、一年生は2.3年生の目の前で、ひとりひとり自己紹介をします。それが応援団への入団式です。翌日からすぐに応援歌練習が始まるのですが、全部で20曲余りある応援歌すべてを覚えてこなくてはなりません。所詮無理な話ですが・・・笑。 いまではそれも 楽しい思い出です。 バンカラ学生であった高校生活は、まさに青葉繁れるの世界でした。
せせらぎ橋は 「しまむら」 わかりますか? あのそばにある橋です。 少女の像の迎えに 少年の像が対になって 橋の欄干に座っています。
そうですか、それは残念でしたね。 でも ご子息には この後 国体もあるし、まだまだ頑張ってください、とお伝えください。
私とお嫁さん、義妹とは 18歳の年齢差があります。 まるで親子でしょ? 母からしてみれば 孫のような嫁ですから、なかなか大変なんです。 たまにしか帰りませんが、義妹には、両親のことをくれぐれもよろしくとお願いしてきます。 一緒にいてもらうだけで、私にはありがたいのです。
子供の成長って、あっという間ですね。 誰に似て あんなに大きいんだろう? (笑)
サイクリングロード! あの花は芙蓉の花だったんだ!
ボケの花と思い込んでました!
大援団!!なしてって位 「ボロボロ」!小豆色の手ぬぐいぶら下げて!
その実は本当の超優等生!!(あったま いい~んだ!奴ら!!)
俺ら男にとっては恐怖の時間! 竹刀でバシバシ!
黒橋!白橋!はどうなってるのかな?(工事進行中!)
小学校正面 右側にひっそりたたずむ石碑も欲しかったな~ (ワガママ!)
早速、リクェストに応えていただきありがとうございます。
イヴェントの時だけじゃなく普段もこういうスタイルというのは
エライッですね ww
青葉繁れるクンも今や我が県の知事さんですヨ
おらほうのリクエストにも・・・!感激!!
今、台温泉に向かってら(ブログ)!
一ヶ月ぐらい休養してたけど?
何しろ文才の無い事!あきれてしゃんた~!(笑)
妙な事も始めたしたまには遊びにきてね!!
ほんと、応援団てみんな頭良かったですね。 確か私の同級生の応援団は東北大学や北海道大学、上智大学と、帰宅同好会の奴ら、失礼、 生徒よりも、時間がないのに いつ勉強していたんでしょうね。
はい、 桜台小学校です。 ある意味 建物で言えば後輩になるのですが、北高に入れるかどうかは・・・???(笑)
画像が小さくて見ずらいと思いますが、ほぼこのスタイルが変わらず受け継がれているようです。 洗っていないので 応援団の近くによると、臭いんです。(笑) 私の高校一年生の時、甲子園に出場できたのですが、試合は一回戦で負けました。 でも応援団の子のいで立ちが珍しかったのか、週刊誌の取材がすごくて、注目されました。太鼓ひとつだけの応援でしたが、太鼓の音は威圧感があると禁止されました。なので、音なしで。 吹奏楽部がありませんでしたからね。
青葉繁れる君、青春スターだったのが県知事とは・・・時代も変わりましたね。
岩手県では うちの高校の他にも 盛岡一高がこんな感じです。 質実剛健とか、不撓不屈とか・・・いまどきの生徒にはなかなか伝わりにくいとは思いますが・・・。 個性あふれる先生も多かったですし、ただの受験校にはなってほしくないですね。
この季節に はなまぎさ けったごど ながながでがったのっす。 ポピーのはなっこも 久しぶりにみれだし バラも まんつ きれいだったよ。
おんなじはなっこでも いながでみるど まだちがってみえるなはん。
団長? え~っと、暗号がわがらねぇのっす。
医者になったのが 2人はいるね。 団長が教授か・・・あり得るなはん。
リンク、そそそ、それでいいのっす。 ありがどね。
リンク、ありがとうございます。
残念ながら違いました! S君と言う名前だったと思います。
副団長は二人とも 東和出身でした。 N君と、K君です。東和って、みんな優秀な人がおおかったなあ~。