薄まる自分
2012年 12月 12日
( 夕暮れの小淵沢 )
何を撮ろうとしているのかより、感じたままを残したくてシャッターを切っていたつもりが、いつの頃からか 写した写真をいじるようになった。より見栄えのいいように、きれいに見えるように。。。イメージを加えた加工品だ。
ピンボケは問題外だとご指摘を受けたこともある。写真はピントが命、それはわかる。撮りたい気持ちだけでシャッターを切って、腕の鈍さ未熟さから見られたものではない一枚になったりする。それも私だ。。。なんて開き直ったりしたこともあった。
「仕事」として草花の写真を撮るには、カメラも腕前も通用するものでなければアップすべきでないだろう。写真のことをわかってないくせに、自分のイメージに近いものにしようといじった。その行為が以前の思いから離れていき、写した瞬間の思いより、結果をより美しく整えたり、想像の中のイメージ寄りの加工品に変えてしまったことは確かだ。
大げさに言えば、自分の感性や撮る瞬間の空気感が感じられない、きれいなだけのつまらない写真になっていた。撮りたいという思いも私自身も薄まってしまったのかもしれない。リカバリーは自分次第、いろいろなものを見よう。歩こう。何よりも感じることを大切にしよう。伝えたい気持ちを大事にしよう。そして元の自分に戻ろう。
( カーテンを温める金色の陽射し )
※ 今日の写真は何もしてません。