待つ
2013年 11月 01日
11月、いよいよ今年もあと残すところ60日あまり。しかも年末は28日には仕事納めとなるのですから、働ける時間は賞味50日またはそれ以下となります。のんびりやの私もさすがにお尻に火がついて、カレンダーとにらめっこ。12月のスケジュールも修正が必要になってきました。
友人から優雅に山歩きしてるんじゃないの?と言われましたが、確かに落ち葉や木の実を探し歩いている時はほぼ無心で、歩いていること自体を楽しんでいます。思いがけない場所に、風で折れた枝や弾けた木の実を見つけると独りほくそ笑んだりしてしまいます。
多忙な暮らしからかけ離れた時間を持つことは贅沢にさえ感じますが、それがすべてではない。帰宅するといつもの生活がそこにはあるわけで、食べること寝ること、そしていささか雑ではありますが、家事もそれなりにこなしています。それがなければどんなに楽かと思わないわけではありませんが、そんな日常の雑事や営みがあるからこそ、山に入った時に新鮮は空気と目の前に広がる景色がまばゆいものに見えるのだと思います。
散り際の花、弾けた種、反った枝や乾いた蔓…芽生えたばかりの淡い色や幼さを感じるその姿が、強い日差しや雨風という自然の洗礼を受け、見事に花を咲かせます。それらは、散り際の艶やかさを誰からも看取られず地に落ちるかもしれません。それが零れ種となり地に潜り、厳しい冬の間、ゆっくりと根に栄養を溜め込み、暖かくなり地面が柔らかく硬さをほぐすその時をひっそりと待ちます。待つのも力になる。。。そしてまた春が来るのです。
今目にしている花はそんな営みを繰り返した去年の零れ種から生まれた花かもしれない、、、そう思うと拾った種さえ健気に思えます。持ち帰って泥を拭き、陰干しをして並べます。そして<待つ>。乾いたそれぞれが放つ色彩や形の変化を見ていると、そこに新たな可能性を感じるのです。