支えあうこと
2006年 06月 17日
現在認知症と診断された方や、そのご家族が出ていらして、座談会形式のようでした。今抱えている悩みや、これからどう病気と向き合っていくべきか、いくつかのドキュメンタリーを交えての番組です。
その中で印象に残ったご家族がいらっしゃいます。北海道の北竜町の元町長さんご夫妻です。3年前に発症してすぐ仕事を辞めて、奥様や一人息子さんのご家族も協力しての毎日の生活、その10ヶ月をカメラは追っています。
発病後、徐々に記憶をなくし、思うような会話ができなくなってくるのですが、息子さん(30代)は時折子供づれで遊びに来ます。孫の前で、このお父さんはどこにでもいる優しいおじいちゃんです。
ある日野球好きだったお父さんのために、この息子さんはグローブとミットとボールを持ってきて、一緒にキャッチボールをするのです。何か思い出してくれればいいと思いながらも、もしかしてお父さんが嫌がるのではと心配そうな面持ちです。ところがお父さんは昔と変わらず、ちゃんと息子の投げたボールを返してよこします。時にはグローブの真ん中をはずしますが、それでもお父さんはボールを必死で返してよこすのです。息子さんは思わず泣いてしまいます。それを見てお父さんは「ありがとう、ありがとう。」と嬉しそうに、でも半分すまなそうに息子に声をかけるのです。(胸が詰まりました、私はこの息子さんの気持ちがよく分かるからです。)
このお父さんは町長時代、町の活性化のために、桜の木のオーナー制度を考えられました。桜の苗木を買ってもらい、町のひまわり畑の道に、街路樹として桜の木が次々と植えられます。苗木にはそれぞれオーナーの名札が付けられていて、年に一度でも桜を見に町に帰ってきて欲しいとの思いでこの制度を考えたのだそうです。もちろんご自分も、お孫さん二人の名前で桜を植えます。そしてその木を見にご家族揃って年に一度桜の木の下に集まるのでした。
認知症が進むにつれて、奥様も一人では手に負えなくなりご主人は入院するのですが、家族で桜の木を見に行く日には、ご本人は機嫌もよくなります。そして他のことは思い出せなかったり、怒りっぽくなったりするのに、その桜の木の植えてある場所はしっかりおぼえているのでした。お父さんにとって、桜の木はご自分自身だったのかもしれません。
奥様はまた来年もみんなで桜を見にこようね・・・と微笑んでおられました。一時はどうしてこんなお父さんになってしまったの、とご本人の前で泣かれたそうです。するとご主人は、困った顔で「ごめんね、気をつけるから」と奥様を慰めるのだのだそうです。でもそれを見て奥様は、自分はなんてことを言ったんだろうと後悔し、もうお父さんの前では泣かないと決めたそうです。
最近は、この病気を扱った映画ができたり、若年性アルツハイマーという言葉も頻繁に目にするようになりました。でもこれは決して映画やドラマのお話ではなく、もしかしたら明日は自分がかかってしまう病気かもしれないのです。家族がどこまで一緒に悩んだり、支えたりできるのか、考えさせられる番組でした。
道端に元気に咲くビロードクサフジ
T.Bさせて頂きます。
このお父さんは、人のために役に立ちたいと、お若い時から町民の皆さんのために一生懸命お仕事をされた方です。まじめに子育てと仕事に精魂傾けた方です。なのに何故この病気はこんな方を襲うのでしょう。
息子さん夫婦もできた方です。まだ30代前半ぐらいの若夫婦です。ことあるごとに孫を見せに遊びに来ては、子供の頃のビデオを一緒に見て話しかけるのです。でもお父さんは記憶にない・・・また悩むのでした。
キャッチボールなんてできないかもしれない・・・でもボールを返すお父さん・・・顔をくしゃくしゃにして息子さんは泣きます。嬉しいからですか、それとも悲しいからでしょうか・・・?だめですね。また涙で字が見えません。
そう、これが健康の秘訣かな!
それといろんな人と接して話をしていたら、ならないと聞きます。
若い人と接しているmikiさんは、絶対ならないと確信しますよ。
紫の花は、僕が釣りに行く川にも咲いています。
ビロードクサフジですか、名前を知って良かった~~。
ブログが健康の秘訣ですね。分かりました。細く長~く続けるように努力します。
この花はカラスノエンドウと一緒に咲いていることが多いのですが、この季節、ハーブの花のように元気です。紫陽花のそばの道端に群生していて、その美しさは紫陽花に劣らず、頑張って咲く野草ですよ。
そうですか、ご覧になりましたか。初期の方やもう看取られた方、いろいろな意見があると思いますが、社会から阻害されることなく、自分も必要とされていると感じる生活が大切なんですね。
自分でもどうにもならないこと、ありますね。
日本のTVでは、よく、こういうドキュメンタリーものを取上げていますよね。色々考えさせられます。フランスでは、たまーにありますが、日本ほど、たくさんなドキュメンタリーが無いのが残念です。
あの奥様の気持ちを考えると胸が痛くなりました。
それに御本人の気持ちも。つらかったでしょうね。
mikiさんのブログのおかげであの桜の木が町長の発案で始められたとわかりまた涙が出ました。
みのさんが終始難しい顔をしていて、最後にわけがわかって。
う~ん本当に今急いでこの病気を抱えた人たちのことを支えなければいけないのはわかるけど、色々やっていくにはやっぱり時間も必要だろうし、結論がでませんね。
あの奥様が司会者の方に「どうですか?何か皆さんにお聞きしたいことなど・・・・・?」といわれて、「今日来ている方たちはみんなお元気でお話もでき、発症は夫のほうが遅いのに、一番ひどい症状で、何も申し上げることはありません」といっていたのが印象的でした。
正直な方だと思い、そのとおりだと思いました。
堀田さんがおっしゃった「できるだけその人がその人らしく最後まで過ごせるような、生きられるような、支援体制を作らなければ・・・」の言葉身にしみました。
私がお伝えしたのは本の一部です。認知症を取り上げた番組はほかにもありますが、この町長さんのご家族のドキュメンタリーは、今までのどの番組より胸に刺さるものがありました。奥様に謝るお父さん、息子に感謝するお父さん、家族と共に桜の木の成長を見守るお父さん、どこにでもいるお父さんなのに、認知症という病気だけ特別・・・。どうしたらいいか僕にも分からないんだ・・・というお父さんの言葉、重く受け止めました。
自分が今できること、何かできないかなあと考えること、隣の人をまず大切にすること・・・いろいろあるのです、自分のするべきことって。
私の説明は足りない部分もあります。ブログを書いていて、その先から涙が溢れてきたりしました。あのキャッチボールをしたときの、息子さんの気持ちは手に取るように分かります。もしも自分だったら・・・と置き換えたりしました。
親が年老いていく様子を見るだけでも悲しくなるときがありますが、その親が自分達のことを忘れていくかもしれない、まったく別の人格になっていく・・・やはり耐えられないと思います。
でも諦めずに、家族だからできることを探して努力している奥様と息子さん夫婦。来年も家族みんなであの桜を見に行ってほしいものですね。
両親にとっての「桜の木」「キャッチボール」にあたるものが思い浮かびません。 大好きなのに。。。
私の父は 私が子供の頃から 「もし お父さんに何かあって 寝たきりになったり 認知症になったら 迷わずに専門の病院に入れるんだよ! 家族が犠牲になっちゃいけない。 それは冷たいことじゃないんだよ。 笑顔で会いに来てくれたら それが一番だから」
と何度も 子供の私に言ってました。 今もこの事はよく言ってます。
幸い 両親は元気ですが、実際そういう状況になったら・・・
元気なうちに いっぱい恩返しします! 今出来る事をするのが一番ですね。
帰国したら 美味しいもん作って食べてもらおう!!(また食べ物か・・・笑)
このご家族の明日という未来は、決して明るくないかもしれない。でも、ご家族の絆は、どこの家族よりも固く、しっかりしています。お父さんの植えた桜の木の下に、思いやりと愛情がすくすくと育っているのですから。
paris-cordonさん、どうぞ親孝行してあげてくださいね。
いつ自分がこの問題を抱えてもおかしくない年齢になってきておりますので、考えておかないといけませんね。
この番組は見ようと思ってテレビをつけたわけではないのですが、もともと3チャンネルの教育テレビが好きで(コマーシャルもないし、無理なお笑いもないし、静に見ていられます)、ふとつけたらやっていたというわけです。でもどんどん番組に引き寄せられてしまいました。このご夫婦のお話の場合、お父さんもお母さんも、息子さんもそれぞれ一生懸命で、心から感銘を受けたのです。私もこの病気になったら、どんな風に周囲の人たちと関わって生きるのだろう・・・と考えさせられました。
記憶がなくなるということ、ご本人も、ご家族もとても悲しい事だなと思いました。
実は私はひょんなきっかけから(高齢者と園芸に関われると勘違いして)そう言う予防活動のお手伝いをした事があります。実際症状のある方を奥様が連れていらして一緒にパソコン作業をしたこともありますが、ご家族のご苦労、そして記憶が薄くなっていくご本人自身もかなりの不安を抱えていらっしゃると言うことを知りました。
悲しくもあり、逆に健康である自分の暮らしの中で一日一日を大切に頑張っていこうと励まされれる気がしました。
素敵なお話をありがとうございました。
健常者にとって当たり前のことも、体の不自由な方には大変お辛いことがあるのですね。まして頭の中でどんどん変化がおきて記憶がなくなっていくと告知されたら、どんなに大きな不安を抱えることでしょう。そしてその辛さを共有できるのでしょうか、家族は。悩む暇もなく問題は突きつけられるのです。明日は自分達かもしれません。
重い問題かもしれませんが、日常の生活がただ楽しいことやおいしいことだけで過ぎて行くとは考えられず、感じたままをブログに載せました。このご家族のお互いを支えあって生きていく姿は、何ものよりも貴く大切に思えるのです。