読むラジオ 1月18日 『 百合の贈りもの (あれから15年 阪神淡路大震災に思う)』
2010年 01月 19日

1月18日月曜日、この日はいつもよりも30分早めにスタジオに入りました。探したいCDがあったからです。いつもなら息子のCDラックにある数百枚の中から選ぶのですが、一曲だけどうしてもかけたい曲があり、それは息子は持っていませんでした。
5時前のスタジオは暗くて寒くて・・・、あ、ありました。 よかった、やっぱり早く来てよかった!
局のCD室は十分に揃っているとは間違っても言えませんが(笑)、探しだしました!
それはアンジェラアキさんの「手紙」という曲でした。
今日の放送はいつもと趣向を変えて、≪暮らしのエッセンスのコーナー≫は「あれから15年、阪神淡路大震災に思う」とし、あるドキュメンタリーを見た感想やそれにまつわる曲をかけました。
前日の17日、NHKではドラマ『その街のこども』を、そして日本テレビでは『ドキュメント’10 百合の贈りもの』という特集番組を放送していました。前者は 震災を経験した若者が15年ぶりに神戸に帰り 追悼の集いに出るまでの一夜のドラマで、佐藤恵理子さんと森山未来くんが素晴らしい演技をしていました。お二人とも 実際に震災を経験しているそうです。
私がラジオでお話したのは後者のドキュメンタリー番組『百合の贈り物』でした。いまここでうまく表現できるかどうか分かりませんが、あるご家族の震災後の生き方を追った内容に感じたことをラジオでそのまま話しました。
兵庫県西宮に住む中北 富代さん(57歳)は 震災で長女の百合さん(14歳)を亡くしました。前の日お友達と楽しそうに電話でおしゃべりをしていて、「じゃあね、また明日。」といつおどおりの会話を交わしたのに、お嬢さんには明日はこなかったのです。翌1月17日午前5時46分のあの大地震で、家は倒壊、5人家族のうち 百合さんだけ 帰らぬ人になってしまいました。絶望に打ちひしがれ、しばらく悲しみの日々を過ごされたのでしょう。残された二人の息子さんは お母さんのやつれた姿を見て 心を痛めました。 建築家のご主人も 自分の家が地震で崩壊した様を目の当たりにして、建築に携わる仕事をしている責任感から、長い時間苦しまれたそうです。
その富代さんが昨年大学受験にトライし、見事神戸外語大学に入学、中国語を勉強しています。日本の歴史に大きく関係する中国について学びたかったのだそうです。そして中国の二胡を習っています。あの優しい音色の楽器で百合さんの追悼音楽会で弾いた曲が『手紙』でした。
富代さんは「 いつか百合とまた出会えるなら、その時娘から お母さんの娘でよかった、そう言われたい。だから前を向いて進みます。」 そんなことをおっしゃっていました。とても穏やかな表情で、強さとしなやかさを併せ持った女性だと感じました。 ご主人がお建てになったのでしょう。 ご家族が集うリビングには百合さんのお写真とお位牌が飾られ、同級生が毎年命日に集まってきます。もう29歳、結婚し、子供を持っている人もいます。そんなお嬢さんのお友達と まるで愛しい娘を見守るような眼差しで対話をする富代さんは 輝いていてとても美しいと思いました。乗り越えるには並大抵の決意が要ったことでしょう。 震災で失ったものは大きかったけれど、得たものもたくさんあり、それは百合さんからの贈りものだとおっしゃっていました。
最後に 一生懸命練習をして 当日真剣に二胡を奏でるお母さんを温かい目で見守りながら、ご二男さん(医学部学生)がこう呟きます。
「 今の自分を育てた両親に感謝しています。そして私たちを支えてくれた周囲の人たちにも感謝しています。また そんなつながりを生んでくれた姉(百合さん)に 感謝したいと思っています。」と。
苦しみも悲しみも、母だけではなく父だけでもない、ご家族のみんなが 失ったもの、得たものをそれぞれ一緒に共有していたのでしょう。 この日を迎えられたこと、本当によかったと心からそう思いました。

長くなりましたが、よろしかったら もう少しお付き合いください。
実は私も大きな地震を何度か経験しています。一度目は中学1年の時 1968年の十勝沖地震、二度目はそれから10年後の宮城県沖地震です。どちらもマグニチュード7・9と7.5で、じっと立っていられないほど、地面も盛り上がり、電柱はゆらゆら大きく揺れて倒れ、ブロックベイも粉々に壊れました。家の中もあちこちひび割れたり、ものが落ちてきたり・・・でも幸い怪我もせず 家族もみな無事でした。あの恐怖感は体で覚えていますから、いまでもちょっとした揺れでもすぐにわかります。最近は小さな地震が頻繁に起こりますし、ハイチを襲った大地震も他人事ではありません。
1・17 ひょうご安全の日宣言をご存知ですか?
「 伝えよう、もっと伝えよう。」 「 備えよう、もっと備えよう。」を合言葉に、震災の教訓はすべての災害に通じる、知恵と伝承や発信の大切さを訴えています。 私たちひとりひとりが明日起こるかもしれない災害のために、人の命の尊さを伝え、万が一の災害のために備えを万全にしなければならないのだと思います。
アンジェラアキさんのこの歌は 以前にももちろん耳にしていて、いい歌だなあと思っていました。この日のラジオでこの話の間にかけたのですが、不覚にも聴きながら涙があふれてきてしまって、放送の中で言葉が詰まることが何回かありました。たぶんお聞きのリスナーさんも気がつかれたかもしれませんね。 もし私が来年のこの日も この番組に携わっていられたら、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今命があることに感謝をこめて、またこの曲をかけたいと思います。
*** この日は もうひとつ 東大野球部3年 安原選手のお話もしました。彼もまた震災を経験しています。生きていることを「運」だと言い切り、だからこそ 今できることに真剣に向き合う。野球と勉強を両立させ、震災でお世話になった人たちへ恩返ししたい、と 医学部で勉強中です。将来はガンの発生のメカニズムを研究したいそうです。 以上、朝日新聞 1月17日の記事から***
最後までお読みいただき、感謝いたします。 ありがとうございました。
1月18日にかけた曲
1. 春夏秋冬 レミオロメン
2. ケンとメリー 愛と風のように 山崎 まさよし
3. 会いたい 沢田 知可子
4. 手紙 アンジェラアキ
5. 東京にもあったんだ 福山 雅治
今日は皆さんの想いを自分の心に映しながら泣きます。
私も仕事をしながら、ちょっとしか見られなかったのですが、
こちらとは別の番組で、震災の時の神戸新聞の方達のお話を
ドラマにしたのを見ました。
子どもさんが拾い集めた遺骨を「すみません・すみません」と言いながら
手を合わせて、
カメラにおさめているカメラマン役の桜井くんが画面に映し出されていました。
17日の夜、私も生かされていることの意味をかみしめながら、
床に就きました。生きたかった人の分まで精一杯頑張らないと!
あの日、私はまだ「寝たきり大学生」で、昼に起きてテレビを
つけたらどこのチャンネルも上空から焼け野原を映していて、
何事が起こったのか、と起きました。
その信じ難い光景に唖然としたのを憶えています。
被害に遭われた方の分だけ、私などの想像を超えた
「現実」があり、それは終わることのないものだと思います。
あらためて亡くなられた方のご冥福と、残された方々が
平穏を取り戻せるよう祈ります。
ひとりひとりの悲しみのストーリーは消えることはありません。
ただただ御冥福を祈り願わくは心の傷が癒える日が来ることを
望むばかりです。
mikiさん*遅くなりました。今年もよろしくお願いします
月曜日はもうすっかりmikiさんの朝ですね。
アンジェラアキさんの手紙昨年私も聴くたびに心揺さぶられる
想いをブログに書きました。本当にいい歌ですね。
今では少女のころの私が今の私に問いかけます。
あははちっとも頭は変わらないねって(笑)
17日の新聞でもう一つ印象に残った記事がありました。
『私のおうちに来ませんか?』という少女の張り紙の記事です。
自分にも何かできないかと考えた少女はお父さん(大学の先生)や学生たちと一緒に神戸の震災現場に行き、自分で作った何枚かの張り紙を張り付けてきたそうです。
結局誰も来た人はいなかったようですが、少女の気持ちがとても印象的でここに書きました。
TVで特番やドラマが組まれていました。
被災者の皆さまの想像を絶する哀しみ 苦しみを乗り越えた強さを感じ
涙があふれてきました。
あの日、被害が時間を追うごとに大きくなっていき
これが日本で起こっていることなのか信じられない気持ちと
同じことが東京で起きたら子供達は無事にいられるだろうかと
思うと怖くてしかたありませんでした。
わたしが主人の故郷である盛岡で子育てをしようって決めたひとつの理由がこの大震災なのです。
mikiさんのラジオ聴いてみたいな~
ただ・・天災とは言え、阪神淡路大震災に見舞われた方々のお心をはかり知ることはできませんが、多くのことを学ばせて頂きました。
テレビで見たあの惨状、そこで「生き抜こう」としている人たちの強さ・・
関東大震災は知らない世代ですが、この大震災で私なりに学んだことをきちんと後世に伝えていく義務の難しさも考えたりしています。
mikiさんも大きな地震を経験されたのですね。私も阪神大震災の当日、朝一番の新幹線で九州出張の予定で、起きて準備していた時に激しい揺れに襲われました。新幹線や高速の高架も壊れ、会社の多くの社員も被災しました。発生が一時間遅かったらと思うとあの恐怖心は忘れる事はできません。
災害を最小限にするためにも「万全な備え」が大切ですね。
そうだったのですか・・・。
実は私も新聞で「横浜人形の家」での展示会の記事を読んで、行きたいと思っておりました。 ご高齢にもかかわらず、コツコツとお作りになったのでしょう。きっと素晴らしい作品だったに違いありませんね。
こうしていろんなかたに応援していただいているんだという実感、ひたひたと胸に沁みています。これからもがんばります。ありがとうございました。
生かされている、まさにその通りだと思います。一人では生きていけない、この命は自分だけのものでもない・・・そんなことが年を経るごとに痛感しています。 生きたかった人達の思い、伝えていかなければね。
鍵さんにとっても お辛い年だったのですね。
人間は何かを失ったときこそ試されているのかもしれません。 乗り越えられる力を信じて前に進むしかないのでしょう。 明けない夜はないのですから。
私がこうしてブログを綴っていられるのも、いらしてくださる皆さんの励ましがあるからこそです。ありがとう、鍵さん。
あの日私もテレビに映される光景に ただ茫然として言葉がでなくて涙だけハラハラと落ちたのをはっきり覚えております。 自分が経験した恐怖感の何倍も、いえ到底知り得ない喪失感に襲われていたのではないでしょうか。
忘れず伝えていかなければ、私たちにできることから。
お返事、大変遅くなりました。すみません。
お知り合いの方のお悲しみ、計り知れないものがあると思います。
中北さんも 長い時間がかかったように、いつの世も 親よりも子が先に逝くほど 深い悲しみはありませんものね。
いつかその悲しみが少しでも和らぎますように。
ハイチでの地震も地獄絵のようで、まだがれきの下で生きている人がいるのではと ニュースを見るたびに心が痛みます。
アンジェラアキさんのこの曲への思いを綴られたコスモスさんのブログ、すみません、探せませんでした。 よろしかったら日付を教えていただけますか。 ぜひ拝見したいです。
ラジオの仕事が私のライフワークになればいいなあと思っています。 伝えたいことだけではなく、伝えてほしいことも見つけていきたいと思っています。 今年もよろしくお願いします。
私もその記事、読みましたよ。 他にも東大野球部の3年生の記事もね。
その少女は 迷うことなく何かできないかと思ったのでしょうね。
「何かできないか」という思い、躊躇なく動くこと、具体的に手をあげること・・・その日は、 いつかではなく、明日かもしれませんから。
テレビの画面に映し出される光景は けしてよその国のこととして 見過ごすのではなく、明日起こりうることですよね。 地震国日本では どこにいるから安全だということは ないと思っています。
経験を無駄にすることなく、備えること、伝えることですよね。
ラジオの仕事も やっと板についてきた感じです。 頑張ります。
子を持つ母として、このドキュメンタリーの中北さんの生き方に圧倒されました。ご家族の思い、周囲の人たちとの絆、悲しみを越えようとして苦しんだであろう日々を思うと、簡単に理解できたなどとは言えませんが、番組を見ながらこちらのほうが励まされた感じでした。 忘れず伝えて行くこと、大切ですね。
災害にはいろいろありますが、地震が一番怖いです。 体で覚えているあの恐怖感は ちょっとした揺れでも 敏感に感じてしまい、夜中でも起き上がります。 こうして命があるのですから、伝えて行くことが義務でもあると思っています。
緊急時に持ち出すもののほかに、岸辺のアルバムではありませんが、家族の大切にしているものをカバンに詰めています。 永遠に持ち出す日が来なければいいのですが・・・。
この日の頁を読み 誕生プレゼントは(震災のひと月後に生まれたSちゃんに)これ!「アンジェラ・アキ 手紙」に決めていました。
「手紙アンジェラ・アキin西宮市立甲陵中学校」繰り返し聴きました
少女たちの涙は何なのでしょう・・清らかで美しい・・胸があつくなりました
NHK全国学校音楽コンクール中学生の部 NHKホールにて
合唱「手紙・拝啓十五の君へ☆☆☆☆☆」美しい合唱に感動しました
何度も聴いています。感謝の気持ち コメントさせて頂きました。

