里帰り その2  「父の柱時計」

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  実家のリビングには柱時計がかけてある。今の時計で確か3代目だったと思う。ずっとゼンマイ式の時計を愛用していて、今何時かなと思って頭をあげて時計を見るのが日課になっていた。夜になると毎日そのネジを父が踏み台に上ってギコギコとネジをまわす。右と左に二つその穴が合って、鍵のようなものを差し込んでゼンマイを回すあのタイプだ。 
  いつからかそれが電池式に代わっていた。足の悪い父が、年をとって踏み台に上がるのも危ないし、最近では指も思うように動かないらしい。電池式ならしばらくほっておいても定時になると時間の数だけボーンボーンと鳴って、時間を告げてくれる時計だ。
  その時計が針が動いてはいるのに、時刻を告げるあの音が鳴らなくなってしまったのだ。私が帰って来たというので、車で自由にでかけられるから、一緒に時計屋に修理をしてもらいに行こうということに。息子も連れて一緒にドライブがてら花巻の街へ。(ちなみに田舎では出かけることを≪まぢさ いぐべ!≫ と言う)

  阿部時計店、懐かしい。いまは亡くなってしまったけれど、私の幼稚園時代からの同級生の家だ。ジュン君という垢ぬけた感じのおぼっちゃまだった。隣はタイル屋で、そこの娘も同級生、こちらも手足の長いすらっとした美人姉妹で、みんな一緒に登下校したものだった。今は兄貴が継いでいるらしい。
  「 もさげねども この時計 いっこど音がしねぐなったのっす。 みでけねべが? 」
  父はそう言って、修理師らしいおじさんに柱時計を渡した。ギョッとした。この人も見覚えがある。すっかり白髪の老人になってしまったけれど、時計を買いに来た頃は営業畑一筋、腰が低くていねいで、時計のことなら何でも知っているって感じだったなあ。教師になって初めての給料でオメガの腕時計を買ったのもこの店。確か月賦で・・・。

  ほどなくしてその人は店の奥から直した時計を持って出てきた。頭の上に修理をするときのあの顕微鏡のようなメガネをずらし、腕には黒い肘カバー、職人スタイルだ。若い頃よりひとまわり体が小さくなったような気がしたが、笑顔は変わらない。あの人だ。

   「 これでだいじょぶだ。音っこなるよ。 電池代だげいだだぐなは。 それにしても Tさんはとしとらねなぁ。 」
   「 あいや、 ほだったっか? もさげねぇなあ。 ありがど ありがど。」
    
  父は嬉しいと 同じ言葉を何度も繰り返す癖がある。 ありがど ありがど・・・。

  時間にしたらわずか3分、電池代220円なりで時計は直った。こんなことでもなければ私もこの店には足を運ばなかったろう。電池も時計も、暮らしの買い物は大手の量販店に行きがちで、壊れれば新しいものを買う時代。壊れたとしても、まずは直して使おうとする父や母。子供の年齢と同じくらいの時間と生活を共にした家財道具が我が家に多いのが改めて分かる。 父は嬉しそうに時計を抱えて車に乗った。


     
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 祭りが近づき、街のあちこちに神輿や山車が準備されている。帰りに寄った照井団子屋の隣にも町内会の神輿が出番を待っていた。 この店の団子はうまい。餡子に醤油、お茶餅に経木団子。きりせんしょもうまいが、一番好きなのが経木団子。 黒蜜と胡桃が入っていて、別名無調法団子。 一口で食べないと黒蜜が飛び出し周りを汚しかねない。

    「 はれでいがったなっす。 まづりのあいだばりも ふらねでければいいどもねぇ。」
    「 うだうだぁ。 なしてだがぁ、おまづりのどぎ かならず あめふるっけをねぇ。」
 
   団子をつつみながら心配そうに空を見上げるおばちゃん。私も同じ空を見上げて同じことを祈った。 祭りはこの日から始まり、小中学生は午前授業。みんな山車を引く稚児さんや神輿の担ぎ手として活躍する。  そろそろマウイも帰ってくる頃、急いで帰らねば。
   
by miki3998 | 2010-09-21 15:56 | 家族

森とラジオと食卓と…草花の仕事とラジオパーソナリティ、やってます。


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