京都から滋賀へ 「川端(かばたと読みます)で思うこと」
2016年 05月 28日
< 京都寺町通りの清課堂さんの錫の花入 お稽古で使っています。 >
京都に行っておりました。初夏の南禅寺あたりは山の色も変わり始め、新緑から深緑へとその色を濃くし始めます。初日は買い物と市内のギャラリー巡りを、二日目は雨との予報でしたが、朝から青空が広がりぐんぐん気温も上がりました。この日は車で京都を脱出、琵琶湖のほとりまで足を伸ばしてみました。
水車のある里山『川端(かばた)、命めぐる水辺』
滋賀県高島市新旭町針江地区。生水(しょうず)と呼ばれる湧き水を水路や生活用水に利用したシステムを川端(かばた)と言います。水路には鯉が泳ぎ、流れる藻や川草も美しいのです。住民はその水の文化の保存に力を注いでいます。 そう言えば子供の頃、母の実家の裏には水田が広がり、用水路を流れる水の音がしていました。そばには小さい川が流れていて、洗い物やちょっとした洗濯などはそこでしていた記憶があります。ご近所さんとの井戸端会議でしょう。主婦たちの笑い声や子供たちのはしゃぎ回る声が、水の流れる音と共に聞こえてきていました。どこか懐かしい針江の街並み、とても静かな時間が流れていました。
針江地区には「焼杉の家」が多かったですね。
杉板の表面を焦がし、炭化状にしておくことで、初期の着火性を低くし耐火性能を持たせ、風雨にさらされる杉板の耐久性を高めることにもなるのだそうです。
白い壁に黒い焼杉の外壁は、コントラストも美しく、風格さへ感じます。写真は日本酒の造り酒屋松の花さんの蔵ですが、同じエリアの住宅にも使われていました。街並みが揃うと景観は落ち着きを見せます。川端も焼杉もその保存は簡単ではないでしょう。美しい里山の風景に触れられるのは、諦めずに継続する住民の努力の賜物であり、訪れる我々もそれを感じ、そして考えることが大切ではないかと思いました。
長くなりましたが、最後に感じたことを。。。
信仰、習わし、仕来り。。。
続いているものには 美しさがありますね。
さあ、いよいよ六月。花巻、山口、銀座と飛び回ります。
体大事にしないとね。頑張ります。
息子が来ていてご無沙汰しました。
川端のある暮らし、いいですね。
野菜を洗ったり、ちょっとしたものを洗うのもみんなそこで。
手を動かしながらちょっと愚痴をこぼしたりもあったでしょう。
みんな一人ひとりの行動が多くなって、なんとなく寂しい日本になったな~と感じます。
一人では生きていけないのだから、人との繋がり大切にしていきたいと思いました。
焼杉の家、美しいです。
川端は小さな集落で、中にはもう水路を止めている家もありました。管理が大変なのかもしれませんね。予約をすれば家の中も見せていただけるのですが、遅くなったせいか満席でした。私は外からだけ見て回ったのです。懐かしさと工夫された暮らしの美しさで、改めていまの暮らし方を見直す機会をもらいました。
造り酒屋にも立ち寄りました。書きたいことがいっぱいあってね。ぼちぼち紹介します。
久しぶりに息子さんがいらして、食卓も賑やかだったことでしょう。