父帰る
2007年 05月 12日
花巻はこの季節、桜や梅が一斉に咲いた後、田植えもひと段落し、緑の苗が風にサラサラ踊らされ、それはみごとな風景が辺り一面ひろがります。 実家の前の田んぼももちろんそうで、広い田んぼに緑色の線がきれいに並んで、子供のころから私はその風景を見るのが好きで、一日中二階のベランダにいても飽きませんでした。
その長男が父を連れて、鎌倉へ帰ってきたのです。 父は左手左足が不自由で、杖をつきながら足を引きずるようにして歩きます。 そしてその後ろから見守るように長男が付いてくるのです。81歳になる父ですから、もう鎌倉へは来れないかもしれないと、長男が誘って一緒に来たのでした。
久しぶりにみんなで食事をしたり、家でのんびり孫たちと過ごしたり・・・これと言って特別なことはしませんでしたが、父は満足そうでした。
今朝もリビングでお茶を飲んでいると、庭の木々の間から鳥の鳴き声がします。
「ありゃ~、うぐいすだなぁ。 こんたな都会でうぐいすの声きぐどおもわねがったじゃぁ。
しあわせだなあ~。山っこもきれいだし しずがだし こったないいどごはねんだな。
いがった いがった。 こごさ うぢかってよぉ。 こんたないいどご ねんだじゃ。」
と、一人うなづきながら言いました。
確かに私たちは幸せです。 ここ北鎌倉でゆったりした時間を過ごし、家族みんな健康でいられるのですもの。 父の言う通り、その幸せをかみしめなければ、罰が当たるというものです。
夜、夕飯を食べた後、
「 おら、あしたかえるよ。 せわになったな。きゅにきてわるがったな。もうべっこいでけど、やっぱりあすたかえるがらよ。 きて いがった、いがったなあ。 」
帰るよ、と言いながら少し寂しそう。
手が不自由なので、昨夜は私が背中を流して、髪を洗ってあげました。 老人特有のほくろがたくさん出た背中、もう痩せて小さくなっていました。髪も薄くなり、5分もかからないうちに洗えるのです。 年取ったなあ~、そう思うと目頭が熱くなりました。
「 もさげねなあ~、おめにせなが洗ってもらえるなんてなあ。 いっつも マウイにせわしてもらうのさ。 マウイはいいこだよ。 ちいせどぎの おめそっくりだ。 ありがど、ありがど。」
父は声が震えていました。
「なんにもえんりょするごどねんだよ、父さん。いだいくれいでやあ。」
自分の娘なのに、遠慮がちに話す父。 私の作った料理を食べながら、まだ息子たちが小さかった時に言っていた「 おいち、おいちね。ね、Kちゃん。」と、いまだに赤ちゃん言葉で言ってしまう父。 息子たちが横で微笑んでいました。
今日のお昼、東京駅まで送っていきました。 新幹線のベルが鳴るまでは、にこにこ笑顔で手を振ります。でもドアが閉まって車両が動き出すと、とたんに顔をくしゃくしゃにして泣き出す父。子供みたいな父です。 そうゆう私も・・・。 笑
結局二泊だけの北鎌倉。父は田んぼが緑色に染まる花巻に帰ってゆきました。
新花巻の駅には息子である私の弟が迎えに出ています。 安心です。
明日は母の日、 実家の母へのプレゼントに添えて、この本を贈りました。
『 いつもふたりで ばーさんがじーさんにつくる食卓 』
きょうのお父様のお話、まるで私もmikiさんのお宅でで見ているような感じでした。
ご長男の優しいお人柄、お父様の気持ち、それを見守るmikiさんの思い、今夜はそんなことを考えながら休みます。
いつもながら温かい気持ちになりました。
明日は母の日ですね。
わたしはいつもどおりです。ちょっとだけ早く行こうと思っています。
お休みなさいませ。
温かいお父様のご健康をお祈りいたしております。
父は日に日に手足の自由がきかなくなっています。若い頃、首の付け根に荷物が落ちて、半身不随になりそうでしたが、手術とリハビリで治した人です。 でも後遺症があって、ほぼ神経が麻痺しているようです。
老いた父親の背中を洗ってあげる…さびしいことだと思いました。自分で洗えない父。何度も何度もありがとうと言われると、それだけで目頭が熱くなりました。 私も年のせいか、涙もろくなったようです。
母の日、私も特別なことはできませんが、庭仕事の時に首が日に焼けるので、汗を吸い取る手ぬぐいのような短いマフラーを贈りました。白髪頭の母にはサーモンピンクがよく似合うので。 喜んでくれるかなあ~?
娘って、父親にとっては特別に可愛いらしくて、50をとうに過ぎているのに、いつも口癖は「 こまったどぎは いづでも でんわしろよ~。くよくよすんな~。」です。 涙もろいのですが、明るい父です。
僕は、両親に会うたびに泣きそうになるので
こう、親子関係の話は涙腺がゆるくなります。
僕は、一人っ子でなんだか、その責任感に潰されそうになるんですね
親に何かあったら自分が!っていうか、何かひとりで勝手に
息巻いていて疲れてしまうんですね、きっと。
ただ両親が楽しく過ごしてくれたら、それでいいのに。
やっぱり泣きそうです。
自然って人間を人間らしくさせてくれるような気がします。
北国はこれからがいい季節ですよね。水田が果てしなく広がって行くような風景は日本の原風景だし、木々の緑はきらめくようだったし。昨日ちょうど最高権力者様と今年の夏休みは鴦宿温泉にでも行こうか、と話し合っていたところでした。
お父様、さぞかし嬉しかったのでしょうね。
考えてみたら私は、父の背中を流したことがなかった。
体は不自由なのに気丈で、大丈夫大丈夫と何事も人に手を借りるのが嫌だった父。
でも、無理にでもいろいろ手伝ってあげれば良かった・・なんて今頃後悔しても遅いのですが。
良かったですね、親孝行ができて。
そしてこれからもできるのですから。
親は偉大ですねmikiさんのお父様の言葉の数々・・胸が温かくなって
それでまたジンーとして・・・。
mikiさん・・心優しい息子さんとおじいちゃまと電車の中でどんなお話を
してきたのでしょうね。
いい時間・・・北鎌倉の山から温かい風が吹いてきて幸せなおすそ分けを
いただきました。
親の心情、子の心情・・どちらもお互いを思いやる気持ちがあふれて
私は遠くにいる娘に手紙が書きたくなりました。
また、ウルッときたので急いで別件を。
芽吹き屋サン 拝見してきました。製粉会社の製菓部門なんですね。
ウチの隣地区が芽吹きの杜というんですヨ 親しみを感じます♪
私にも夫にももう親はなく父の日母の日はなにもすることがなくなってしまいました。
介護の年月が長かったので別れは悲しみよりも安らぎでしたがやはり淋しいものですね。
北鎌倉という安らげる場所にお住まいでうらやましい・・・
お元気でまた遊びにきてくださるといいですね
mikiさまのファンのひとりです。
私も、思わず泣いてしまいました。
大好きだった父が逝って10年以上経ちました。
父娘の会話・・・じ~んときます。
新幹線での別れ際、私も経験ありです。
愛し愛されて・・・家族のつながりが感じられて
あたたかい涙でした。
花巻の田園風景も目の前に広がって・・・。
同じ東北福島の出身だからでしょうか?
懐かしく思い出しました。
涙がうるっときました。
というのが、あさって、父の誕生日なので、今さっき、実家に宅急便を送ったところです。
パンとかお菓子だけなんですけどね^^;
そうですねぇ、たまに実家に帰ると、働いていた頃と比べたら、父がだいぶ小さく見えます。たまにしか会わないので特に、変化が感じられるんですよねぇ。
今日は、母の日ですね。男子(主人です。笑)の実家に行ってまいります。でも、いつも、ご馳走になりに行って、食材をどっさりもらってかえるパターンです。^^;
私は、両親が他界してしまったので、長生きしてもらいたいと思っております。なぜか、言わせてください。
mikiさん、がんばって!!
私達の年代の親達は、子供のためなら自己犠牲も厭わなかった時代でしたね・・愛情深く、自分のことは後回しでした・・
はたして・・私はそういう親になっているかしら・・と考えています
楽しいこともしたい、あれも欲しいこれも欲しいそしてこういう子になって欲しいとか・・欲張りな親です
私の母は、85歳ですが、心配かけまいと気丈にひとり暮らしを続けております。
見習うべきことの多い親を持つ幸せを感じています
もっとゆっくりしていけばいいのに・・・
うちの両親も、せっかく来てもあまり長々いてくれません
娘に遠慮してどうするのよねー
でも、長男くんのおかげで、思いがけずお父様がきてくれてmikiさんうれしかったでしょう
私まで嬉しくなりました
早々帰るところが、mikiさんお父様らしくて思わずホロリ
短くても親孝行できてよかったですよね
次はお母様をひっぱってきてね♪Dちゃん
息子さんの、mikiお母さんへのプレゼントになっていると思いました。
今後の御長男さんの活躍が、楽しみです。
影ながら、息子さんたちを応援している一人です(笑)
お父様も そんなミキ家族の様子を垣間見て
安心して 家路につかれたことでしょう。
分かってはいるものの 親の年老いていき
肩や背中の肉の落ちていくのを見るのは 辛いものです。
ご実家の長岡お母様への 娘からのプレゼント・・。
きっと 帰宅なさってから 話す事が多すぎて 聞きたい事が多すぎて
にこにこと混乱されていらっしゃることでしょう。よろしかったですね^^。
みty
お父様の老いたとはいえ、温かな背中を流して差し上げる事も出来て、
幸せな時でしたね。
大事にされてね、この事を。
私は父が、倒れて亡くなったのを外国で聞き、駆けつけました。
もっと電話をすればよかったとか、手紙を書いてあげればよかったとか
思うことは沢山あります。
お父様との温かな時間が、一番の母の日のプレゼントですね。
おとうさま、おかあさまお二人ともが、ご健在でいらっしゃることが、宝物。。。
いつまでも、お元気でお幸せなご一家でありますように。。。☆
最近、こうゆう話にとても弱いのですが、読んでいて温かい気持ちと
切ない気持ちと、いっぱい。
でもお父様孝行されましたね。
きっと喜んで家路に着いたことでしょう。
うちの父、高所恐怖症なので我が家には来れないのです(^^;)
しーです。
先日はお誕生日にコメントをありがとうございます。
お陰様でとっても嬉しい日になりました。
優しい息子さんですね
お父様と過ごされたお話に胸がいっぱいになり涙があふれました…
いつも優しいmikiさんの心に触れ色々と教えられます。
只ただ・・・ありがとう をお伝えしたくて。 言葉にも文章にも上手くまとめられませんが 家族や人の絆をあらためて大切にしたい・・・mikiさんのように。
今朝の皐月の武蔵野の新緑も眩しく爽やかです。
良い一週間の始まりです。ありがとうございました。
ご長男さんの優しい気持ち、お父様のいつまでも娘のことを思いやる心、
mikiさんの手料理を囲む食卓の温かい光景が、目に浮かび、幸せな気持ちになりました。
昨日は、母の日でしたね。。。うちのムスコも、私に一輪、そして近所に住む私の母にも一輪のカーネーションをプレゼントしてくれました。。。
実家が茅ヶ崎で北鎌倉の素敵な日々に惹かれてちょくちょくお邪魔しています。
あたたかいお人柄が溢れる文章に今日は涙、涙でした。
私の父は昨年亡くなりました。
あれもこれも、してもうらうばかりで何にも返せないままお別れしました。
今日はなおさら父を想います。
これからもちょくちょくお邪魔させて下さいね。
お父様の暖かそうなお人柄が滲み出ています。息子さんも、何てお優しいのでしょう!
きっと、お父様に可愛がられて来られたのでしょうね。
優しい息子さん、我が子もそう育って欲しいです。つくづくそう思います。撫子
ゆらさんはひとりっこですか、 そして責任感を十分感じていらっしゃるのですね。 お偉いですね。
私は実家から遠いところにお嫁に来てしまって、つくづく親フォこうをしているなあと思いますが、結局のところ、親はどこに居ても幸せであってくれたらいいと思っているようです。してあげることよりも、自分自身がしっかりすることが親を喜ばせることなんだと思います。してあげられる今、後悔のないようにしたいとは思っていますが・・・。 ゆらさんも人生を楽しんでください。それがひいては親の喜びなのですから。
お母様、複雑な家庭事情のなかで、ご祖父さまの介護は想像以上のご苦労をなさっていらっしゃるのではないでしょうか。
便利でモノがあふれる現代は、言葉を交わさなくてもものが買えたり、道を聞かれても危険だから口をきかないようにと、子供におかしなことを教えなければならない世の中になりました。 うちの姪っ子も、毎日小学生用の携帯を持たされて通学しています。今どこにいるかわかるようにね。
自然がたくさん残っていて、空を見上げるとそこにトンビが飛んでいたり、山の緑がきれいだったり、川のせせらぎを感じたり…心で見えてくるものがたくさんあるって、何より人間をやさしくしてくれるような気がしますね。
それは孫の顔を見せられなかったことでもあり、遠くに嫁いでしまって十分な世話をしてやれないことでもあります。
では何が親孝行かというと…自分たちがまずしっかり地に足をつけた生き方をして、誰かのために(それは家族もそうですし、社会的にも)生きがいを持って生きるということではないでしょうか。親って子供の幸せを自分の幸せと思う生き物ですからね・・・たぶん。 笑
もしかしてお父様はもうお亡くなりになったのでしょうか・・・。
うちは両親ともに健在で、私たちの幸せを一番に考えてくれています。こんな親不孝な娘でも可愛い(50過ぎてますが、笑)らしく、本当に子煩悩な父なんです。その孫はもっとかわいいのでしょう。長男は初孫でしたし、特別な思い入れがあるようです。そして息子も祖父の愛情を十分感じている…それでいいと思っています。普段は心配かけてばかりの長男ですが、こんな時、この子の素直な優しさを感じます。
一番にブログをご覧いただいているのですね。嬉しいです。
お会いするとがっかりするかもしれませんよ。 我が家は毎日ジェットコースターのように浮き沈みが激しい家族ですから。 笑
それでもよろしければ、北鎌倉にお出かけになってみてくださいね。
私はいつでもここにおりますから。
息子と父は大の仲良しです。息子(先日写真をお見せしたあの子)は口数が少なくて、ぶっきらぼうな子です。気の利いた事など言えないタイプですが、年寄り思いの子なんですよ。私がスタスタ歩くと「 おふくろ、おじいちゃんといっしょにあるいてやれよ!」と叱られます。 その思いやりの半分でも私に回してほしいくらいです。きっと車中は駅弁でも食べながら、外の景色の話をしたり、きっと一方的に父が話しかけていたのだと思います。息子は頷くだけです、きっとね。 笑
長男はいろいろあって、自分に自信が持てないのだと思いますが、田舎に行くにあたって、メールでこう言ってやりました。
「 お前を愛してくれている人を忘れないで。お前のために真剣に心配してくれていることを忘れないでね。そしてその人のために役に立つことをしておいで・・・。」
芽吹き屋さんは実家のある花巻に本店があります。冷凍でお持ち帰り、そして自然解凍で美味しく頂けるお餅、どれもおいしいですよ。私はずんだのほかにくるみ大福が好きです!
お父様に、もっと泊まって欲しかったですね。
昔かたぎのお父様が親子なのに遠慮してしまうのも分かります。
日頃から何にでも感謝して暮らしていらっしゃるでしょ~。
私の亡き母は同じ市内に住んでいたので我が家によく泊まりに来ました。
母は甘えん坊な人だったので、ついつい何でもやってあげるようになりました。
それが上手いの~!有難う、有難うって言うもんだから・・・ (笑)
mikiさんのご両親様、これからも元気で長生きして欲しいですね。
そうですか、もう先生のご両親はお亡くなりになっていらっしゃるのですね。 私は両親ともに健康でいてくれて、それだけで本当に感謝しています。
父も母も節制をして、自分の体を自分で守る生活です。粗食と規則正しい生活、なによりもよく働くのです。その娘なのに、この始末…お恥ずかしい。
只今、泣いております。
5年前に相次いで両親を亡くし、
この歳になって改めて親の有難さを実感しております。
子供にとって親に代わる無償の応援団はいませんよね。
居てくれるだけでいい・・・・それがすべてだと思います。
mikiさんのお蔭で、今また両親の事を思い出しています。
いいお話、有難うございました。
何時何時までもご両親様がお元気で居られます様・・
心から祈っております。
生前父が我が家に来て2日もすると家でやることが沢山あるからと
あたふたと帰っていきました。mikiさんのお父様とダブってきて
胸が熱くなりました。
おじいちゃん想いの良い息子さんですね。
その後にmikiさんのお父様とご家族のお話を読んだので、余計に胸に迫りました。
お父様、どんなに嬉しかった事でしょう。
母の日のプレゼントに選ばれたご本、私も大好きです。
でも、私にはもう送る母がいません。
mikiさん、本当に素敵なご家族ですね・・・
別れは寂しいけれど、元気でいてくれるのです。幸せだと思っております。もうお世話する相手もいない…介護の日々、本当にお疲れ様でした。
私も大学生の時、母の父、つまり祖父が脳こうそくで入院しました。夏休み中、病院でリハビリの手伝いをいたしましたが、休みが終わると大学に帰る私、解放されたと思ったものです。残された祖父を毎日介護するのは母でした。
親の姿を見て子は育つのでしょう。 私は息子たちにどう見られているのか…怠け者の母親として呆れられています、きっとね。
福島のご出身ですか…うちの生徒さんにもいらっしゃいますよ。
東北の田舎育ちの私ですから、しゃれたことはできませんが、父も母もこんな私をいつも気遣ってくれて、この日が私の父の日だったかもしれませんね。連れてきてくれた長男にも感謝しています。普段はとんでもないやんちゃ坊主ですが。 笑
無くしてみてわかることってありますね。幸い私は両親ともに健在ですし、弟夫婦と同居なので、何かの時に安心していられます。父も母も孫と一緒で刺激もあり、まるでかぐや姫のように孫を育てております。
北鎌倉もいい街ですが、花巻もいいところなんですよ。 どんど晴れです!
里帰りのたびに父の足が重く引きずるのを目にして、心が痛んでおりました。今回息子が連れてきてくれたので、心配していませんでしたが、人の倍はかかるんですよ。歩く速さがね。エスカレーターにも右側にしか立てません。それに転びそうで・・・都会はいたるところが危険で、送っていく時も不安が募りました。
こうやって私も老いたら息子たちの世話になるのでしょう。一人で生きてゆくことなんかできませんから。素直で可愛いおばあちゃんになりたいです。
そうですね、私たちの親世代は、物を大切にし、礼儀をわきまえ、自分に厳しい人が多いと思います。そしてなによりも家族のために懸命に働いてきました。両親は二人ともじっとしていなくて、仕事を見つけてでも動き回っています。父にはもうゆっくり体を休めてもらいたいのですが、不自由ながらも庭の草取りをしたりゴミを捨てに行ったり…。
お母様、気丈にされているのもしっかりとしたご自分をもっているからでしょう。長生きしてほしいですね。
庭の見周り終了です。もうこぼれんばかりにバラが咲いていますよ。早く誰か飾って~って言ってます。 笑
父はいつもは私を励ます人ですが、娘の嫁ぎ先への長居は申し訳ないと、ちょっと寂しそうでした。いつでも来ていいのよ、そのうち私も行くからね…と励まして見送りました。 全く親子で泣いてどうすんのよ~。 笑
いつもはいいかげんなDですが、こうゆうときは優しいの。まったく、普段からそうしてほしいものです。 今朝も朝帰り…ほっとけ~、バカ息子って感じです。
明後日もお天気ならいいなあ。バラの採り込み、早目にしておきますね。
無事届いてよかったわあ。お母様、お気に召してくださったのね。心をこめて作ったものね。 まさか、あれも新種のお菓子?だと思わなかったでしょ? 硬いドーナツに柔らかいドーナツ・・? 笑っちゃいました。
すみません、お返事遅れました。
お気に召していただいてよかったです。 息子さんに感謝ですね。
どうぞ可愛がってやってくださいね。 時間を経て味が出てくるリースです。
お恥ずかしいです。私はこの年になっても親離れができず、両親も子離れできていないのかもしれません。 親不孝な娘はせいぜい花巻の方向を眺めて、一日も長く生きてと願うしかありません。
了解しました。どうぞお気遣いなく、楽しんでいらしてくださいね。
あちらのほうはいつでも行けます。向田邦子さんにも興味がありますが、本当は世田谷美術館の建物が好きなので、いつ行っても飽きないのです。次回にいたしましょう。
そちらへのお誘い、ぜひぜひ伺いますよ。 これからの季節、海岸線を車で走るのが気持ち良くて好きです。またご連絡いたしますね。
そうですよね、長男がいたからこそ、父は鎌倉へ来る気になったのでしょう。 母の日はごろ寝をして忘れていたようですが、モノより思い出・・・ですよね。 つい長男のだらけた生活に喝を入れたくなる私、それなりに考えているよ…と、田舎の弟が言っておりました。長男への応援、よろしくお願いします。強い味方です!
そういえば、みtyさんのコメントはいつもそうです。 凛とした姿勢と、聡明な性格、品のあるコメント・・・大人の女性はこうでなくては。
孝行かどうかわかりませんが、家族みんなが父をいたわり支えようと思っていることは確かです。長男はガサツなわたしに厳しく、いつも叱られているのです。あのちゃらんぽらんな長男が・・・です。 誰に似たんだろう?
厳しかった父も、体がちいさくなり人柄も丸く、孫たちから慕われるようになり、微笑ましいエピソードばかり。 老いた姿を見るのはさびしいですが、無償の愛を注ぐ父に対しては、いつも感謝しております。
父の日と母の日が一緒に来た感じですね。 笑
大事にされてね、このことを・・・
はい、大切にいたします。
小さい頃、背中を流して上げておりましたが、その頃は背中が大きくて、しっかりした骨格でした。老いとはこうゆうものなんですね。
家族っていろんな形があっていいと思いますが、息子たちには両親のような、誰かを思いやれる人間になってもらいたいです。
老いてなおも、自分よりも子供や孫を思いやり、犠牲になってまでも相手を生かす人間、無償の愛ですね。 私自身、どうかな?と反省です。
もしかして高層マンションですか?
父も母も若い頃はよく遊びに来ていましたが、最近は来ることで誰かに迷惑をかけたくないと、なかなか遠出をしなくなりました。母も脳梗塞をしてからは、めっきり出かけなくなってしまって・・・。だから私たちができること、今してあげたいことを優先しています。長男にもそれを言って聞かせていますが、理解してるかなあ~???
涙もろくなった私、きっと父に似たのでしょうね。 笑
教えられることなんかありませんよ。私は結構いい加減だし、だらしない母です。息子をしかる時に、逆にたしなめられたりしていますから・・笑
親って、若い頃は疎ましかったりもしましたが、今となれば必要な存在であり、誰よりも一番私を支えて応援してくれています。大切に思っています。多分息子たちは言われてではなく、自分から祖父母をいたわる気持ちがわいてきたのだと思います。誰よりも自分を愛してくれているとわかっていますからね。 ありがたいです、本当に。
アズミさんのブログのような格調高さはありませんが、田舎の香りは高いかなあ~? 笑
そうですか、わかりました。ぜひいい方向へ向かうことを祈っております。 私のほうはなんとかなりますから。 頑張ってくださいね。
武蔵野のかたですか? そちらももう緑が濃く変わり始めていることでしょうね。今朝の北鎌倉はどんより曇り空です。
拙いブログにコメントを残していただき、ほんとうにありがとうございます。紅玉さんの一週間が、このブログからスタートしていただけたなんて、光栄の至りです。 素敵な一週間をお過ごしくださいね。よろしければまた遊びにいらしてください。
拝見しましたよ、息子さんからのカーネーションだなんて、ラグビー少年もなかなかやりますね。 笑
父も母ももう老いて体も思うように動かなくなりました。でもその分、遠くの娘を気遣っているようです。 私にできること、今しかできないこと、それを一つ一つしていくつもりです。
お返事が遅くなってごめんなさい。
パソコンが息子専用になると、私の時間はずっと後回しになります。我慢してくださいませね。
茅ヶ崎がご実家ですか? いいところですよね。
私も友人がスポーティフ近くに住んでいて、よく行ったものですが、最近忙しくなって行ってません。彼女もお菓子トエプロンのサロンを主宰しているんですよ。
お父様、お亡くなりになったのですね。思い出もいろいろと蘇ってくるのでしょう。両親ともに健在ということのありがたさをしみじみ感じております。
北鎌倉のほんの一部しかご紹介していませんが、またぼちぼちアップしてゆきますので、よろしければお付き合いくださいね。
大丈夫、あの絵の上手な息子さんも、きっと優しいままに育てられていますもの、ちゃんと育ちますよ。
長男は3歳から一人で私の実家に行く子でした。祖父母に育てられたようなところがあります。夏休みや冬休みは1か月もの間、飽きることなくい中で遊んでいたのです。次男はダメでしたね。すぐホームシックにかかり泣いて帰ってくる子でした。
生きてゆくのが下手なタイプの子ですが、何が大切かを理解して、思いやりのある人間になって欲しいです。父のようにね。
アハハ、そうですね。ちょっと待ったほうがいいかも。
ブログへのアップはいつでも結構ですからね。
息子さんが3人もいらっしゃるのですから、これからが楽しみですね。同じように育てたつもりでも三人三様、子育ての醍醐味とはそうゆうものだと思います。 男の子って照れ屋ですしね。 笑
お母様、甘え上手なのですね。いいなあ、そうゆうおばあちゃん。
うちの母は、鎌倉に来ると一人で歩き回り、家にいる時は草取りばかりしています。先日も電話で「またくさとりにいぐがらなはん。おめのごどだがら なまけで くさもぼうぼうだべぇ。 だらしなぐしてだら だめだよぉ」と叱られました。 千里眼のような母です。笑
ご両親様、お亡くなりになってしまったのですね。
でも思い出すとすぐそこにいらして、kanonさんを見守られていますね。姿は見えずとも、親っていつも心で生きているものですものね。
普段は強い言葉で娘を諭す母と、すべてを受け入れる父です。いいコンビなんだなあと思います。 両親がそろって元気でいること、ありがたいとしみじみ思います。コメントありがとうございました。
そうなんですよ。嫁側の父親として、主人にも気を使っているようです。母もそうで、あまり出しゃばるのが好きではありません。主人の両親と正反対の性格です(笑)。
東北人だからかもしれませんが、やはり都会に何日も泊まっていられるタイプではないのでしょう。そばに居たい気持ちはあっても、帰るところは別だということを、父は重々分かっていますから。
長男の気持ち、痛いほど分かります。自分のことを一番に可愛がってくれている祖父母は裏切れないという思いがあるようです。ぶっきらぼうの息子ですが、表現よりも気持ちのようが深い奴です。
素敵なお話に、ぼろぼろ泣いてしまいました。
優しくて思いやりのあるお父様ですね。
自然・周りの人にいつも感謝しているmikiさんの姿勢はお父様譲りなんですね。
私ももっと父に感謝しなきゃ!
よし!今日はお父さんが好きなもん(料理)を作ってあげよっと!
親のありがたさって、この年にならないと分からないものかもしれませんね。息子たちは私たち親をどう思っているのか…うざい! かな?笑
この本は料理もそうですが、生き方に無理がなく、じわじわした温かさが伝わってきます。母が好きな料理が多かったので、私の分と母の分と2冊買いました。 こんな夫婦、いいですね。
そうだったの…ご心配ですね。
体が不自由な思いってどんなだろうと、正直あまり考えたことがありませんでした。うちの父もそれなりに頑張っていましたから。
でもね、自分の爪も切れないし、洋服も着るのに時間がうんとかかるの。いままでは助けを借りずに頑張っているのを見ていましたが、今回は本当に大変そうで、おもわず手伝ってしまいました。詫びながら嬉しいのか悲しいのか…父のさびしい顔が心に焼き付いてしまってね。
遠くにいらしてもきっとあなたのことだけを思って生きていらっしゃるでしょう。お手紙でも出して差し上げてくださいね。きっと元気になりますから。
泣かせるつもりはなかったんですが、書いていて私も泣けてきました。 親が老いてゆくのって、さびしいものですね。
この本、大事にしたいと思います。世にいろいろなレシピ本はありますが、カリスマ主婦も有名シェフにもないもの…ゴージャスでで見せるための料理ではなく、季節感と旬の食材と、なによりも食べる二人の会話が聞こえそうな本物のの愛情という調味料が入った料理なんですものね。
今の私があるのは確かに親兄弟のおかげです。そして恩師や友人、仕事でのつながり・・・いろいろな方々に支えられて今があります。
おかげさんで…という言葉、日本人が大切にしている感謝の言葉ですものね。 きっと皆さん同じだと思います。人は一人では生きてゆけませんものね。
ゆかりさんのお料理には、今あるあなたを支えたご両親や妹さんに、そして食べたいと思う人への感謝がいっぱい詰まっていると思います。使われる食材もきっとあなたに感謝していますよ。 腕をふるって、美味しいお料理をお父さんに作って差し上げてくださいね。
お父様、二泊だけとはいえ、mikiさんのお家に遊びに来られて良かったですね。
私の両親、特に父は高齢になってますから(母より10歳年上なんです)やっぱりあとで悔いることのないようにと、毎日のように電話で話をしたりしています。
元気な人でしたけど、やっぱりここにきて、体調の優れない時も多いようです。
お父様とmikiさんのお喋りの様子を読んでいると、祖母を思い出さずにはいられません。
私、テレビで岩手が写って、岩手の方が岩手の言葉で話されているのを聞くのが大好きなんです。
「そったなこと」なんて言葉が出ると、良く祖母も連発してたなあと(笑)
ついつい嬉しくなってしまいます(^_^;)
この本ね、私も同じ気持ちで買いました。 最初のページに映っているフォションの寸胴鍋、うちといっしょだったの。なんだか懐かしいキッチン風景でした。
この本は今の料理業界をあざ笑うように、淡々と、そしてしっかりお二人の食への考えが表れていて好きです。外でゴージャスな食事をしたり、見かけだけのごまかしの料理ではなく、食べること、地のものの大切さ、季節を愛でること、人のつながり・・・いろんなことを教えてくれます。目からうろこが何枚も落ちます。 笑
薄っぺらな生活をしている私、ただただ反省。
父は地位も名誉も学歴だってありませんが、自慢の父です。そう誇れるような家族の一人であることを今しみじみ幸せだと思っています。
花巻弁は南部の言葉の中でも比較的ゆったりで優しい響きがあります。青森に近かったり宮城に近くなると、同じ岩手でも違った方言になると思います。
私は言葉は通じることという役目以上に、心が通うことが大切だと思っています。岩手に帰ればもちろん花巻弁で話します。こちらで生活していても、電話で家族と話すとまた花巻弁にもどります。
自分たちの話す言葉に誇りを持って生きています。それは家族への誇りと同じようにね。標準語…あくまでツールですから。 笑
庭のバラ、こぼれるくらいに見事に咲いてます。明日のクラスは幸せですよ。こんなに見事に咲いたのを見られますから・・・。
ドーナツ二つ、お父さんにもお母さんにも喜ばれた今年の母の日、思い出深い日になりましたね。 笑
お父様が帰られてお寂しくないですか?
読ませて頂きながら何だか父が懐かしくなってきました。
ご長男さんも優しいですね。
きっとお父様は幸せな3日間でしたね。
私も実家が離れていますので、帰れても年に2回です。(飛行機じゃないと帰れない…)
両親に久しぶりに会うと、自分の年も忘れ(年をとったなぁ)と思います。
花巻の田園風景、素敵でしょうね。故郷の景色と重ねてしまいました。
北鎌倉の路地裏の景色も心が和みました。6月初め、七里ガ浜の友人と北鎌倉周辺にお出掛けする事になりました。なんと!18年ぶりに会います…(◎◎)
はい、ちょっとね。 でも父も満足をして帰りました。来月は母が来るかもしれません。実家は弟夫婦が共働きで、小学生の孫がいるので、年寄りは孫の相手が必要なので、なかなか二人一緒に出かけられません。 母は草取りに来ると言っておりますが…娘の怠け具合を見に来るのでしょう。 アハハ、千里眼のような人です。
長男はブログにはあまり出てきませんよね。写真も嫌いですし、ぶっきらぼうで愛想の悪い奴です。ブログネタになるのも嫌い、二男とは正反対の性格なんです。でも心根は優しい、母親思いの子です。マザコンにはなりたくないと言っておりますが・・・笑
お友達との鎌倉再会、楽しみですね。6月でしたら、アジサイもそろそろ咲いているかもしれませんね。 どうぞいっぱい懐かしいお話に花を咲かせてください。
病院での父の言葉が忘れられません。 -ありがとうー の一言が。
今でも耳に残っています。嫁に出した娘に 面倒は見てもらえないと以前から話していた父でしたから。 今でも後悔ばかりです。もっとたくさんの事をしてあげたかったと。 ごめんなさい。初めてのコメントなのに こんなことを。どうぞご両親様を大事になさって下さい。
kimmyさんとお呼びしてよろしいのでしょうか・・・?
素敵なブログ、拝見いたしました。盛岡は母の生まれ故郷、今でも買い物は盛岡に通っているようです。お馴染のお店や、昔からの名前で残る町並み、東北の城下町として、地味ですが大好きな街です。私も大学時代は県庁でアルバイトをしておりました。休憩時間にはすぐそばの『竈』と言う喫茶店でお茶をしながら本を読んで過ごしたことを覚えております。
お父様のこと、まだまだお元気でいてほしい年齢でしたね。そばで十分看病できなかったことを悔やんでいらっしゃるようですが、きっとそんなkimmyさんのお気持ちをご理解して天に召されたのだと思いますよ。体は亡くなってしまいましたが、魂もあなたへの思いもすぐそばで生き続けていらっしゃるのだと思います。
気ままに綴るブログですが、よろしければまた覗いてみてください。
でも ここで書かせて頂いて少しだけ 心が楽になった気がします。でも一生 自分を責めてしまうのだとい思います。 なんかごめんなさい..。
リンクを頂きます。 聞いて頂いてありがとうございます。
お父様はしずかに逝ってしまわれたのですね。
その時が来るのは誰にもわかりませんね。もちろんみんながそばにいてくれて逝く人もいますが、いなくても誰を恨むでもなく寂しいわけでもないと思うのです。避けられないその時が来たのですから。
お父様と最後の時間をご一緒できたのですから、あまりご自分を責めずに、逆に苦しむことなく穏やかに逝かれたことをよしとなさったらいかがでしょう。そしてなによりもkimmyさんがご家族とともにお幸せに暮らし、心の中にいつもお父様を思って生きられることを喜ばれていると思いますよ。
私でよろしければいつもここにおりますから、盛岡のお話と一緒に、心の中の重たい荷物を置いて行ってくださいね。
リンク、ありがとうございました。
父はもう体の自由が利かなくなり始めております。もともと障害があるのですが、気丈な人で、障害者としての優遇を受けずにここまで来ました。 でももう一人で鎌倉へは来れないと思います。
長男は普段やんちゃですが、こうゆう時にさらっと優しくなります。義父のときもそうで、一人で泊まりに行き、掃除までして帰ってきました。ほかのどの孫よりも優しいとほめられたようです。
私はこの父とあの母の娘なのに…出来の悪さはピカ一です! 笑